カラダブログ

はじめまして

投稿日:2024年6月7日  /  江別文京台

 あらためまして、篠宮です。 よろしくお願いします。
カラダラボ江別文京台で お世話になり、まもなく3ヵ月になります。

 今週は、はっきりしない天気が続きました。 5月とは思えないくらい寒い日もあり 気分が上がらないだけでなく、体調を崩された方も いらっしゃたのではないでしょうか?
でも、今週末は 気温が上がり、暑くなる予報がでています。 暖かくなるのは 嬉しいのですが、気温の変化の大きいので 体調管理には十分に注意してください。

 今回は、わたし 篠宮の自己紹介をさせて頂きます。
生まれは 昭和41年( 1966年 )12月生まれの丙午です。 出身は、東京都大田区の蒲田です。
蒲田は羽根つき餃子の発症の町で、映画の「蒲田行進曲」(ラボの他のスタッフは知らないかな?)や「シン・ゴジラ」が上陸した町としても話題になりました。
著名人では「森田健作」が同じ町内に住んでいて、小学校への通学時に 黒塗りの高級車のお迎えで自宅を出る姿をよく見かけました。

北海道には 24歳(だったかな?)のときに 転居してきました。学生時代に2週間ほどかけて、道内を一周旅行して以来、いつかは住みたいと思っていた場所でした。

趣味は DIY なのですが、最近はあまりやっていません。 前職の頃は、休みらしい休みがほとんどなかったにもかかわらず、合間を見つけては何か作っていたのですが、今は 時間もあり、やりたい事もあるのですが、怠けています。 DIY を始めた切っ掛けは、もともと既製品の家具などが、家の間取りや好みと合わず、ちょっとした物なら自分で作るようになったのが始まりでした。 たまに こだわりが過ぎて、使い勝手を考慮しても制作費用が高くついてしまう事がありますが、その時は妻には内緒にしています。 それでも 自分のイメージ通りのものが出来た時の満足感は嬉しいです。

介護の仕事に就いた切っ掛けですが、両親への想いのこしから来ています。 両親共に既に他界しているのですが、実家が東京である事や若い頃に札幌に来ている事、仕事が忙しかった事など、すべて言い訳ですが 親孝行できていませんでした。「親孝行したいときには親はなし」というやつですね。 特に 母が体調を崩して入院した時は、コロナ禍だったこともありますが 息を引き取るまで 顔を見る事も出来ませんでした。 そんな後悔から、せめて身近にいる方には何かしてあげようと思い、この仕事に就きました。

まだまだ、皆さまには ご迷惑をお掛けしますが、この先も頑張って参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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はじめまして

投稿日:2024年6月7日  /  江別文京台

 あらためまして、篠宮です。 よろしくお願いします。
カラダラボ江別文京台で お世話になり、まもなく3ヵ月になります。

 今週は、はっきりしない天気が続きました。 5月とは思えないくらい寒い日もあり 気分が上がらないだけでなく、体調を崩された方も いらっしゃたのではないでしょうか?
でも、今週末は 気温が上がり、暑くなる予報がでています。 暖かくなるのは 嬉しいのですが、気温の変化の大きいので 体調管理には十分に注意してください。

 今回は、わたし 篠宮の自己紹介をさせて頂きます。
生まれは 昭和41年( 1966年 )12月生まれの丙午です。 出身は、東京都大田区の蒲田です。
蒲田は羽根つき餃子の発症の町で、映画の「蒲田行進曲」(ラボの他のスタッフは知らないかな?)や「シン・ゴジラ」が上陸した町としても話題になりました。
著名人では「森田健作」が同じ町内に住んでいて、小学校への通学時に 黒塗りの高級車のお迎えで自宅を出る姿をよく見かけました。

北海道には 24歳(だったかな?)のときに 転居してきました。学生時代に2週間ほどかけて、道内を一周旅行して以来、いつかは住みたいと思っていた場所でした。

趣味は DIY なのですが、最近はあまりやっていません。 前職の頃は、休みらしい休みがほとんどなかったにもかかわらず、合間を見つけては何か作っていたのですが、今は 時間もあり、やりたい事もあるのですが、怠けています。 DIY を始めた切っ掛けは、もともと既製品の家具などが、家の間取りや好みと合わず、ちょっとした物なら自分で作るようになったのが始まりでした。 たまに こだわりが過ぎて、使い勝手を考慮しても制作費用が高くついてしまう事がありますが、その時は妻には内緒にしています。 それでも 自分のイメージ通りのものが出来た時の満足感は嬉しいです。

介護の仕事に就いた切っ掛けですが、両親への想いのこしから来ています。 両親共に既に他界しているのですが、実家が東京である事や若い頃に札幌に来ている事、仕事が忙しかった事など、すべて言い訳ですが 親孝行できていませんでした。「親孝行したいときには親はなし」というやつですね。 特に 母が体調を崩して入院した時は、コロナ禍だったこともありますが 息を引き取るまで 顔を見る事も出来ませんでした。 そんな後悔から、せめて身近にいる方には何かしてあげようと思い、この仕事に就きました。

まだまだ、皆さまには ご迷惑をお掛けしますが、この先も頑張って参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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